「門前雀羅」とは、「訪れる人がなく、門前がさびれている」という意味があります。
しかし、門前雀羅の意味がわかったところで、その正しい使い方やシチュエーションを理解しておかないと、間違った解釈をしたまま恥ずかしい思いをするかもしれません。
そうならないように、この記事で門前雀羅の意味に加えて、正しい使い方を例文も交えてわかりやすく解説しておりますので、最後まで読んでこれから活用できるようにしてくださいね!
最近、駅前商店街、活気がないね。
そうね。門前雀羅ね。
「門前雀羅」の意味とは?わかりやすく解説
「門前雀羅」とは、もんぜんじゃくらと読み、訪れる人がなく、門前がさびれているという意味があります。
門前雀羅の意味を辞書で調べると、このように解説されております。
【門前雀羅の意味】
goo辞書より引用
- 訪れる人がなく、門前がさびれているさま。
「門前もんぜん雀羅じゃくらを張はる」の略。- 「雀羅」は雀を捕るための網のこと。門前が閑散としているので、雀が群れをなして、網を張って捕まえられるほどであるという意から。
- 出典:白居易はくきょい「寓意ぐうい」
「門前雀羅」の意味
門前雀羅(もんぜんじゃくら)とは、訪れる人がほとんどいなくなった場所や状態を指す言葉です。
文字通りの意味は「門の前に雀を捕る網を張ること」で、これは人の出入りがないために、雀が自由に飛び回れる様子を表現しています。
この言葉は、かつて賑わっていた場所が寂れてしまい、誰も訪れないような状態を指します。
例えば、人気のあった商店街や観光地が経済的な理由や時代の流れによって衰退し、人の出入りが少なくなった場合に使われます。
「門前雀羅」ってどんなことを意味するの?もう少し詳しく教えて!
門前雀羅(もんぜんじゃくら)とは、人が全く訪れない、ひっそりとした様子を指す言葉です。まるで家の前に雀を捕まえるための網を張っても、雀しか捕れないほど寂しい様子、という意味合いが込められています。
「門前雀羅」の語源や由来
門前雀羅の語源や由来は以下のとおりです。
【門前雀羅の語源や由来】
「門前、雀羅を張る」から来たことばです。
家が寂れて、門の前に雀が集まり、雀羅(=網)を張って捕まえられるほどだ、という意味です。
「史記」は、翟てき公こうという人が退官後、門の外が雀羅を張れるほど寂れた、と記しています。
唐代の詩人・白はく居きょ易いも、権勢のなくなった家を「門前、雀羅を張る」と表現しています(「寓ぐう意い詩し」)。
コトバンクより引用
「門前雀羅」の語源
門前雀羅(もんぜんじゃくら)という言葉の語源は、漢字をそのまま読んで理解できるように構成されています。
「門前」は「門の前」を意味し、「雀羅」は「雀を捕まえるための網」という意味です。
古代中国では、鳥を捕まえるために網を使っていましたが、それを門の前に張るという状況は、訪れる人がいないために暇を持て余し、雀を捕まえようとすることを象徴しています。
ここから、人の出入りがなく閑散とした状態を表現するようになりました。
「門前雀羅」の由来
この言葉が生まれたのは、中国の古い歴史書『史記』の一節が由来とされています。
そこには、かつて栄華を誇った人が、地位を失った後、彼の家に人が全く来なくなり、門の前には雀が群がって、雀を捕まえるための網を張っても邪魔にならないほど寂れていた、というようなことが書かれていました。
つまり、「門前雀羅」は、かつて賑やかだった場所や人が、今は全く人が来なくなり、ひっそりと静まり返っている様子を、この雀を捕まえる網にたとえて表現した言葉なのです。
「門前雀羅」の使い方を例文でわかりやすく解説
それでは、「門前雀羅」の正しい使い方を具体的にイメージできるようわかりやすい例文をご紹介します。
門前雀羅ってどういう場面で使ったりするの?
「門前雀羅」は、商店街や観光地だけでなく、かつて流行した店舗やイベントが静まり返ってしまった時など、さまざまなシーンで使用されます。
「門前雀羅」は、次のような場面で使われることがあります。
- かつて賑わっていた場所が寂れてしまった時: 例えば、昔は活気あふれていた商店街が、今では人がほとんど来なくなって閑散としている様子を表す際に使われます。
- 人気がなくなった商品やサービスについて: 新しい商品やサービスが発売された当初は人気があったものの、すぐにブームが去ってしまい、売れ行きが低迷している様子を表す際に使われます。
- イベントや集会が不発に終わった時: 多くの人が集まることを期待していたイベントや集会が、参加者が少なくて寂しい雰囲気になった場合に使われます。
- 人が集まらないお店や施設について: お客さんがほとんど来ない、閑散としているお店や施設の様子を表す際に使われます。
- 特定の人物が人気を失った時: 以前は多くの人から支持されていた人物が、今は人気がなくなってしまった様子を表す際に使われます。
「門前雀羅」を使う際には、次の点に注意する必要があります。
- 状況に合った使い方を心がける: 「門前雀羅」は、あくまで比喩表現です。実際の状況に合わせて、適切な言葉を選ぶようにしましょう。
- 否定的なニュアンスが強い言葉であることを意識する: 「門前雀羅」は、寂れた様子や衰退している様子を表す言葉なので、相手を傷つけたり、状況を悪く捉えられたりしないように注意が必要です。
- 他の言葉と組み合わせて使うことで、より豊かな表現が可能になる: 「門前雀羅」という言葉だけでは、状況が具体的に伝わらない場合があります。他の言葉と組み合わせることで、より分かりやすく、印象的な表現を作ることができます。
門前雀羅の例文①
この例文では、商店街の現状を伝えるために「門前雀羅」を使っています。かつては多くの人で賑わっていたが、今は人通りが少なくなったという状況を説明しています。
駅前商店街、あまりはやってないみたいだね。
そうね。かつて賑わっていた駅前の商店街も、今では門前雀羅の状態で、残念ながら休日でも人の姿をあまり見かけなくなったわね。
この例文は、商店街の変化を具体的に描写しています。かつての活気を知っている人には、特に寂しさを感じさせる表現です。
門前雀羅の例文②
ここでは、観光地が訪問者を失った状況を説明するために「門前雀羅」を使用しています。観光地の衰退が地域に与える影響を描写しています。
F温泉も最近話題にならないね。
有名な温泉地も、新しい観光スポットの影響で門前雀羅となり、地元の商店は苦戦を強いられているらしいわ。
この例文は、時代の変化による観光地の衰退を描いており、その結果として地域経済に与える影響を考えさせます。
門前雀羅の例文③
この例文は、地位を失った人物の家に訪れる人がいなくなった状況を描写しています。権力や地位がなくなることで人間関係が変わることを示唆しています。
有名企業の社長だったGさん、あの事件で職を追われてしまったね。
そうね。彼が社長の座を失ってからは、かつて彼の家を訪れていた多くの人々も姿を見せなくなり、門前雀羅の状態になっているらしいわよ。
この例文では、社会的地位の変化が人間関係に影響を与えることを示しています。職を失うことで周囲の人間関係が薄れ、孤独感を感じる状況を具体的に描写しています。
「門前雀羅」の言い換え表現を例文を使ってわかりやすく解説
「門前雀羅」には以下のような言い換え表現があります。
「人気がない」の例文
「人気がない」は「門前雀羅」を表します。
「人気がない」という表現は、人や物事に対する関心や需要が少ない状態を指します。
これは「門前雀羅」と同様に、人々の注目や訪問が少なくなった状態を表す言葉です。
Nレストラン、最近行かなくなったよね。
そうね。Nレストラン、オープン当初は話題になったけど、今ではあまり人気がないみたいよ。
この例文では、開店当初に注目を浴びたレストランが、時が経つにつれて客足が遠のき、注目度が下がった様子を表しています。
「活気を失った」の例文
「活気を失った」は「門前雀羅」を表します。
「活気を失った」という表現は、以前は元気や賑わいがあった場所や物事が、勢いや活発さを失ってしまった状態を示します。
「門前雀羅」と同様に、賑わいがなくなった様子を表します。
Fデパートって、最近お客が少ないらしいね。
あのデパートは新しいショッピングモールができてから、すっかり活気を失ってしまったわね。
この例文では、新しい競合施設の影響で、以前は賑わっていた商業施設が閑散としてしまった様子を描写しています。「活気を失った」は、特に周囲の変化や環境によって元気を失った状態を強調しており、「門前雀羅」と比較して少し広範囲な状況にも使えます。
「寂れた」の例文
「寂れた」は「門前雀羅」を表します。
「寂れた」という表現は、物事や場所が衰え、活力を失って荒廃している様子を示します。
「門前雀羅」と同様に、かつて栄えていた場所が今では人々に見捨てられている状態を表現します。
見て。テレビに出てるこの村、昔はおしゃれなペンションがたくさんあったところだよね。
そうね。この村、昔は多くの観光客で賑わっていたけど、残念ながら今では寂れた場所になってしまったわね。
この例文では、観光客が減少し、かつての賑わいを失った村の現状を描写しています。
「寂れた」は、特に物理的な衰退や荒廃のニュアンスが強く、「門前雀羅」と比べると、より視覚的に荒んだ印象を持たせます。「門前雀羅」は比喩的に人のいない状態を示すことが多いですが、「寂れた」は実際の環境の変化を強調する際に用いられます。
「門前雀羅」の類義語
「門前雀羅」の類義語を辞書で調べると以下の通りです。
【門前雀羅の類義語】
ことわざ百科事典より引用
- 閑古鳥が鳴く(かんこどりがなく):人が全く来なくて、ひっそりとしている様子。
「閑古鳥が鳴く」の例文
「閑古鳥が鳴く」という表現は、商売や場所が非常に静かで、客がまったくいない様子を表します。
この言葉は、閑古鳥(カッコウ)の鳴き声だけが聞こえるほど静まり返っている様子を比喩的に表現しています。
特に商業施設や飲食店で使われることが多いです。
昨日ランチで行ったカフェ、いつもあんなに空いてるの?
あのカフェ、平日の昼間はいつも閑古鳥が鳴いているけど、週末になると少しだけ賑わうみたいよ。
この例文では、平日のカフェが閑散としている様子を表現しています。「閑古鳥が鳴く」は、「門前雀羅」と似た意味を持ち、静かで客が来ない状況を表しますが、特に商売の繁盛具合を表現する際に使われることが多いです。
「門前雀羅」の対義語
「門前雀羅」の対義語を辞書で調べると以下の通りです。
【門前雀羅の対義語】
goo辞書より引用
- 千客万来(せんきゃくばんらい):多くの客が絶えず訪れること。非常に多くの人が集まること。
- 門前成市(もんぜんせいし):家の前が市のように賑わっていること。つまり、多くの人が集まって活気があること。
「千客万来」の例文
「千客万来」とは、多くのお客が次々と訪れることを意味し、非常に賑わっている様子を表します。
この表現は、特に商売繁盛を表現する場面でよく使われます。
新しくできたショッピングモール、もう行った?
ええ、行ったわ。新しくオープンしたショッピングモールは、連日千客万来で、多くの人々で賑わっているわ。
この例文では、新しいショッピングモールが非常に人気で、多くの人が訪れている状況を表現しています。「千客万来」は商業施設やイベントが成功している状態を強調するために使われることが多く、商売が繁盛している場面で使われます。
「門前成市」の例文
「門前成市」とは、「門前」が「市場」となるほど、多くの人が集まって賑わっている様子を意味します。
これは、特に大勢の人で溢れかえっていることを強調する表現です。
今度の週末、K温泉に行ってみようと思ってるんだ。
K温泉は人気の観光地だから、休日になると門前成市となり、メイン通りは観光客でいっぱいになるらしいわよ。
この例文では、観光地が休日に多くの観光客で賑わい、活気に溢れている状況を表現しています。
「門前成市」は、単に多くの人が集まるだけでなく、その場所が活気に満ち溢れ、まるで市場のような喧騒と人だかりがあることを意味します。特にイベントや祭り、人気の観光スポットで使われることが多く、その場所の賑わいと活気を強調したいときに使用します。
「門前雀羅」の英語表現
「門前雀羅」の英語表現を辞書で調べると以下の通りです。
【門前雀羅の英語】
weblio辞書より引用
- practically deserted:ほとんど人がいない、閑散としている
- have no visitors:来訪者がいない
「practically deserted」の例文
「practically deserted」は、人がほとんどいない状態を表す表現です。場所が寂れてしまったり、人が来なくなった様子を描写する際に使われます。
「門前雀羅」を英語で表現した例文を教えて!
"Ever since the factory shut down, the nearby town has been practically deserted, with empty streets and closed shops."のように表現することができます。
日本語訳:工場が閉鎖されて以来、近くの町はほとんど人がいなくなり、通りも店も閉じたままだ。
この例文では、工場の閉鎖によって町が寂れた様子を描写しています。「practically deserted」は、「門前雀羅」と同じく人の少なさや静けさを強調する表現で、特に場所が人の往来を失った状態を具体的に示すのに適しています。
「have no visitors」の例文
「have no visitors」は、訪れる人がいないことを直接的に表現するフレーズです。場所やイベントに人が集まらない状況を示します。
「門前雀羅」を英語で表現した例文をもう一つ教えて!
"Despite the beautiful weather, the park seemed to have no visitors, leaving the benches and paths empty."のように表現することができます。
日本語訳:素晴らしい天気にもかかわらず、公園には訪れる人がいないようで、ベンチや道は空っぽだった。
この例文では、良い天気にもかかわらず公園が閑散としている様子を描写しています。「have no visitors」は、「門前雀羅」と同様に人のいない状態を表現していますが、より直接的でストレートな表現です。特に、期待とは異なる静けさを強調したい場合に使われます。
コメント